当事者が出てこない~桐島、部活やめるってよ~

 映画『何者』に魅せられて、原作を読み、それぞれの人間模様に共感したり、しなかったりした。

 そして、次に『桐島、部活やめるってよ』を読んだ。結論、即映画も観ようってなり、Amazonにてレンタルで視聴……

 

 

原作・映画の両方ともめちゃくちゃ面白かった!!

 

 

 何が良いかというと、やはり桐島が登場しないで物語が進行するところ。また、桐島が部活をやめることで、一見無関係なスクールカースト最下層の前田にも余波があるところだったり……、これがフワッとした感想。

 

 

 一番印象に残っているのは、橋本愛の可愛さ原作・映画でのカスミの立ち位置がはっきりとしないところだった。

 

 

 最初、原作を読んだとき最後の章、カスミが14歳のときの話が面白かったり驚いたり、腑に落ちなかったりと思った。桐島とは関係のない物語だけれども、映画を見てからおもい返すとカスミの立ち位置がはっきりと理解できた気がする。最初、映画は映画、原作は原作として、物語を見るとカスミの言動がまったく理解できない。

 

 

 だけど、2、3回繰り返し読んで観て、原作と映画を繋ぎ合わせると、何となく理解できた。映画で弱肉強食、女子の世界でクッション役に徹しているカスミは、どこか気持ち悪かった。仲間からハブられないように立振る舞う神業を発揮し、場を壊さない言動、例えば、冒頭での部活に向かう4人でのシーンで梨紗の内申への全力でのフォロー、沙奈と実果の険悪になって実果と一緒に食堂に行くところ、「ほんと女子ってわけわかんない」に対して「本当に。私も女子だけど」と反応したところ。はたまた、映画部が体育館で表彰された時、ちゃんと拍手していたり、食堂で前田に対して映画できたら見に行くと言ったりと、映画だけ切り取ると単なる優柔不断ないい子ちゃんの印象。でも原作のカスミと合わせると中学のとき、他校の友人がいじめに合っていてそれを見た経緯を含めると映画のカスミの人物像が理解できる、いい子ではなく、風見鶏。これがカスミの印象だ。いい意味でも悪い意味でも周りの人に合わせることに慣れている。必ず1人はクラスにいる要領のよいタイプ。何事も俯瞰して物事を見て、本心での意思表示をするのではなく、その場の雰囲気を見てから意思表示をする。どこか嘘っぽい感じがたまらなく癖になる(笑)それぐらい、橋本愛の演技が過去の情景と重なった。こんな感じの子いたな~と。

 

 

 原作で宏樹は、最後、自分が本気でやりたいことをやって失敗したときの自分と折り合いをつけて、グラウンドに向かう。前田はますます教室とは違う表情で本気で映画に向き合う。実果は家族のことで気持ちを整理して、部活に打ち込むことにする。風助は桐島の代わりを担い、沢島は宏樹に対する思いに折り合いをつける。桐島が部活を辞めたことが多かれ少なかれ影響している。桐島の影響力、恐るべし。

 

 

 高校という決して広くない世界で、自分の立場をしっかりと理解して振る舞うことを学ぶ。そして、宏樹のいうところの自分の身の丈にあった進路(努力をしないで無難な)を選択していく。かつての自分がそうしたように、正解なんて分からない中で、知識や経験のない頭で答えを必死に絞り出して大人になっていくのだろう。

 

桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)

桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)