三流大学、理系学生が読んだ書物を語る

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こんなお独り様はちょっと羨ましい~ぼっちーズ~

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 今回は、『ぼっちーズ』について、感想を綴ります。(注意:ネタバレあり)

 

はじめに

 著者は、入間人間さんです。「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん」、「電波女と青春男」などで有名な方です。

 

入間 人間は日本のライトノベル作家岐阜県出身。
出典:入間人間 - Wikipedia

 

あらすじ

僕と他人が揃っても、『友達』にはならない。『ぼっち達』になる。空を自由に飛びたいわけじゃない。酸素とチョコレートの次ぐらいに、誰もが気軽に手にしているもの。友達。僕はそれが、欲しい。若手新鋭作家が贈る、『ぼっち』達の青春ストーリー。
出典:ぼっちーズ - 入間人間 - Google ブックス

 

ぼっちは最高だ

 昨今の日本では、お独りさまに優しい社会になりつつあります。某大学の食堂には独り席が設けられていたり、ひとりカラオケに始まりひとり焼肉…、ひとり〇〇と肯定的に言われるようになっていたりと独りで楽しめる社会が形成されつつあります。

 

 このような社会で青春を過ごす平成生まれの私たちはある意味では、恵まれているのかもしれないです。独りになることに抵抗がない。これは老後の生活を想像するとその時にものすごい効力がありそうですが…。

 

 しかし、最初から独りでいることは望まないもの。皆、友達や恋人を求めるのが至極当然のこと。とりわけ青春時代はこの存在をより求める。先生でも親でもなく、「友達」と「恋人」である。

 

 なぜこんなにも執着するのかは定かではないけれども強いて言うのであれば、本能が求めているのかもしれないです。そんなぼっちに強いコンプレックスを持った、登場人物たちが、時間を超えて「ぼっち」に共鳴します。

 

僕と中村さん

 最後に、おまけとして、僕と中村さんの物語が描かれています。森川が報われそうで良かった。ぼっちを究めそうな森川が、誰かと関わろうとするところが、好きです。

 

「いや、えぇと、席を用意……あ、やっぱり、無理か」

 

 自己完結してしまうところが、不器用ですね。コミュ障あるあるの話し方。ただ、最後は、ちゃんと中村さんを誘っているところが、青春しています。遅い青春ですが、歳をとると、大抵のことはハードルが下がるということですかね。(笑)

 

お気に入りの場面

 「友達という言葉がどうして生まれたか」ということに対して中村さんが説明するところより、

 

「きっと、あなたみたいな人が必死にもがいて、他の人との距離を埋めようと試行錯誤した結果の一つなんだと思います」

 

 大学の食堂でいつもぼっち飯の人、会社ではコンパや同期の集まりに自分だけ呼ばれない人…、ぼっち同士が集まればそれはぼっちではなく「ぼっちーズ」という団体になります。ぼっちが一堂に会したらそれはそれでカオスなことになる気がしますがね。

 

蛇足的な感想

 当たり前のようになった、お一人様用のサービス。私も一人カラオケを経験し、一人で何かすることに特別、抵抗がなくなりつつあります。ただ、友達が一人もいないのはツラいもの。話したいこと、ぶつけたい思いが、行き場のないことは、ツラい。考えたくもないことです。

 

 おそらく、本当にボッチだったら、就活や受験は乗り越えられなかったことが容易に想像できます。それぐらい、その時に一緒にいた友人たちの存在が大きかったことを実感しています。

 

 結局、ボッチから脱却し、友達を作る(1人でもいいから)ことって大事だと思います。と言いたいです。改めて読むと、ボッチなりの楽しみ方も良いが、他者との関わった楽しみ方だって否定出来ないですよね、って思いました。

 

 是非、皆さんも手にお取り下さい。

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