三流大学、理系学生が読んだ書物を語る

三流大学、理系学生が読んだ書物を語る

小説、映画、マンガ…etcについて徒然なるままに感想を書いてます。

MENU

さぁ本気を出すときだ~俺はまだ本気出してないだけ~

 今回は、映画『俺はまだ本気出してないだけ』について、感想を綴ります。

 

 

 40歳にして漫画家を目指すべく突然会社を辞めてしまうシズオの潔さが何とも痛快です。可愛い橋本愛娘がいるのに会社を辞めてしまう。それでも夢をあきらめない生き方がカッコイイと思います。ふと立ち寄った大人の店で娘と鉢合わせるところは不覚にも笑ってしまいました。

 

 努力もするが、小学校時代からの幼なじみと飲みもする。ぐーたら生活を過ごしているようでしっかりしている側面も持ち合わせているシズオ。だから、憎めない。たとえ可愛い娘からお金を借りようとも、朝からゲームをやっていようとも。

 

 

 漫画家を目指すというと『バクマン。』を思い出します。寝ないで描いて、描いての日々。なのにシズオからはそんな感じがしない。でも内心はめちゃくちゃ脳内会議をしていて焦りもある。だからといって、焦りだけでもなくて周りの人たちよりも自由にどこか余裕のある感じがある。単なるアホだともいえるが、そこが良い。

 

 

 決して真似をしたいわけではないが、ちょっとかっこいいと思えてしまいます。シズオの無邪気さを羨ましく、見習いたと心から思います。

 

俺はまだ本気出してないだけ コミック 全5巻完結セット (IKKI COMIX)

俺はまだ本気出してないだけ コミック 全5巻完結セット (IKKI COMIX)

 

 

 

 追記(2018/5/某日)

 

 

 会社員生活を辞めて、自分のやりたいこと(漫画)を実行してしまうって凄いと思います。

 キャリアプランを考えた時、諦めることが多い中、これだけは絶対に『実現させる』という強い意志が、取り巻く環境に負けないってかっこいいです。

 

 

 シズオの生き方に憧れます。

 まぁ、行き当たりばったりなところがあるとは思いますがね(笑)

 

 

 縛られない生き方に憧れはありますが、やはり、会社から飛び出す勇気って誰でも簡単に身に付くものではないです。

 シズオがどのようにして、この勇気を形成したのか気になります。

 

 

 いつ頃から漫画家を目指し、会社員時代から漫画を描いていたのか……など

 

 

 これから社会に出るにあたり、ちょっと気になりますね(笑)

 やりたいことをやるってカッコイイので、そんな大人になりたいものです。

 

 

何を考えているんだ?~渇き。~

 今回は、映画『渇き。』について、感想を綴ります。

 

 

 ドラックに暴力、どうしたらこんな世界に首を突っ込めるのだろうか。しかも、高校生で。加奈子という人物像が優等生以外に掴めない。それぐらい目まぐるしく物語が進行します。

 父と娘の関係がドロドロしていて、気持ち悪かった。最後の最後まで『暴力』が付きまとう物語。後味の悪さが……

 

 

 しかし、そんな悪い感じばかりではなく、橋本愛可愛さ表情がとても良い感じだったりと面白く見れたりもしました。昭和が長野の薬づけだということを気づいたときの、森下のかばうところが一番印象的でした。

 

渇き。

渇き。

 

 

 追記(2018/5/某日)

 

 渇き。って最後まで暴力が付きまとってきます。

 ここまで、暴力を追及しているのは、ある意味すごいです。

 

 

 面白さはあまりなかったですが、このシーン何を伝えたかったのか、と考えさせられる映画でした。

 推測力を養う訓練には、非常に良いかと思います。

 何はともあれ、この映画は好き嫌いがはっきりとすると思います。

 

 

 ある意味では、問題作的な側面を含んでいると感じます。

 現代の渋谷辺りではありそうな…

 気はしないですね(苦笑)

 

 

 最近は、渋谷では様々な規制(ひと昔前のイメージ脱却のため)をしているので、物語と現実が乖離しています。

 それこそ、1990~2000年ぐらいまでの渋谷では色々とありそうな気がしなくもないって感じます。

 

 偏見ですけどね(笑)

 

 

 ジャンル的には、ミステリー、社会派のどちらなんですかね?

 結局、どう解釈したらいいのか分からない…

 

 

 原作があるみたいなので、読んだ方が早いですね。

 理解できない映画って今までほとんど無かった(勝手に解釈してきた)ので、私的には、結論を出せないことがモヤモヤして嫌です。

 

 

 ただ、この物語が受け付けなかったところが大きいので、『嫌い』と認識して、それ以上は、理解することを拒否しているってのもあるんですけどね。

 

 『思考の停止』ってことです。

 

 だから、これがある意味結論なのかもしれません。

 

 

 まぁ、無理して理解する必要はないですよね。私は、都合よく考えるタイプなので、この『渇き。』に関しては、これ以上は考えないことにしようと思います。

 

 

 

 

果てしなき渇き (宝島社文庫)

果てしなき渇き (宝島社文庫)

 

 

古都と言えば京美人~古都~

 今回は、川端康成の『古都』について、感想を綴ります。

 

 

 京都は特別な雰囲気をまとったところだと思います。いつ行っても市内は落ち着いていて、ほど良い都会度だと思います。きっと、昔も変わらない雰囲気で今の京都を築いてきたのでしょうね。

 華やかさと風情を兼ね備えた京都を、祇園祭の際にはひときわ感じることができるだろうことは、描写から読み取れます。

 祇園ばやしは、かんたんに「こんこんちきちん」で通っているが、じつは、二十六通りあって、それは壬生狂言のはやしに似、雅楽のはやしに似ていると言われる。

 宵山には、それらの鉾が、つらねた提灯の灯でかざられ、はやしも高まる。

 四条大橋の東に、鉾はないのだが、それども、八坂神社まで、花やぎがつづいているように思われる。

 

 祇園祭を見たことがない私としては、一度は見物してみたいものです。

 

 

 京都で捨て子として育てられた千重子は、祭りでふた子の苗子と出会う。自分が姉妹であることに驚き、たじろぐ、おまけに大切な人には気づかれない悲しさ。

 『伊豆の踊子』しかり、身分違いの2人が出逢って、物語が進行する川端康成作品は、スーと心に入ってくる。完全に交わることはない2人だけれども、どこかで糸が絡まっている。心情が揺れている描写は美しい。

 

 

 

古都 (新潮文庫)

古都 (新潮文庫)

 

 

 追記(2018/5/某日)

 

 

 京都が舞台の物語は数多くあります。

 この『古都』を始め、森見登美彦先生の作品たちなど…

 

 

 京都ってだけで、どこか『品』があるように感じますし、それも物語が成立する要因なんですかね。

 

 

 イメージって大事ですね(笑)

 

 

 京都、恋、祇園祭、阪急…etc

 

 

 もうこれだけで、勝手に物語を想像してしまいますね。

 

 

 それはそうと、最近知ったのですが、『古都』と言えば、橋本愛が出演している映画がありますね(笑)

 ただ、物語の舞台がオリジナルみたいです。HP見ると、作品を撮る経緯が書かれており、オリンピックを意識した映画のようです。

 橋本愛ってだけで見たいですよ。

 プロジェクトの経緯がしっかりと書かれている映画って見ようと思いますよね。

 まだ見ていないので、チェックしようと思います。

 

 

古都

古都

 

 

 

 

暴力の先にあるもの~セッション~

 プライムビデオで視聴した映画『セッション』について、感想を綴ります。

 

 

 純粋な主人公は、求められたものに対して、ひたすら応えるための努力をする。血が出ようが車の事故で腕が折れていようが、お構いなくドラムスティックを握りしめて、叩く。ジャズの世界で名声を得るために。ただそれだけのために…

 

 

 目の前の要求に対して、死に物狂いで完璧な正解を演出する姿勢は、狂気です。段々とプロを目指すというよりも、フレッチャー先生の要求に応えることだけに必死になっていく姿は、すごい!というよりもどこか気持ちが悪いです。

 

 

 家族、兄弟に負い目を感じていたのか、なお一層と叩くことに執着していく。彼女と別れて、新入りには並々ならぬライバル意識をぶつけて、周囲のことは何一つ目に入っていない。自分の世界に入り込んで、ひたすらドラムを叩く。しかし、大一番というコンクールで失敗をする。車で事故を起こして、血だらけのまま会場に向かい、演奏する。この姿勢は、ただただ気持ち悪い、命よりも結果(成功・名誉)を求める姿勢。

 

 

 大学を辞めて、先生を訴えるという人物の証言をして、フレッチャー先生も大学を辞める。アンドリューは大学を入り直し、音楽から離れていたが、通りかけたバーでフレッチャー先生が演奏していた。思いがけない邂逅に、その場を後にしようとするが、フレッチャー先生に捕まって、一緒にお酒を飲む。特に印象的だったのは、ここでの会話で、あるプロの挫折からどう成功者になったのかという話、そのプロは一度、演奏で笑い者になってから次の朝から死ぬ気でドラムを叩くようになったと。

 

 

 そして、ドラマーを探していて一緒にコンクールに出ようと誘われる。アンドリューは当日、舞台に立つと言われていた課題曲とは違う曲を演奏することになっていて、笑い者になる。一度は、舞台から出ていくが、父と抱擁して直ぐに舞台に戻り、アドリブで演奏を始める。最後、フレッチャー先生は笑う。私は、この笑みはアンドリューが上手く手のひらで踊ってくれたことに対する笑みだと解釈しました。一貫して、アンドリューは幼稚な人物に描かれている気がします。

 

 

 素直に楽しかったと言える映画ではなかったです。月並みですが、物事に取り組む姿勢をしっかりと客観視して、目標に向かって努力することが大事なのだなと思いました。

 

 

 

 

 

当事者が出てこない~桐島、部活やめるってよ~

 映画『何者』に魅せられて、原作を読み、それぞれの人間模様に共感したり、しなかったりしました。

 そして、次に『桐島、部活やめるってよ』を読みました。結論、即映画も観ようってなり、Amazonにてレンタルで視聴……

 

 

原作・映画の両方ともめちゃくちゃ面白かった!!

 

 

 何が良いかというと、やはり桐島が登場しないで物語が進行するところ。また、桐島が部活をやめることで、一見無関係なスクールカースト最下層の前田にも余波があるところだったり……、これがフワッとした感想。

 

 

 一番印象に残っているのは、橋本愛の可愛さ原作・映画でのカスミの立ち位置がはっきりとしないところです。

 

 

 最初、原作を読んだとき最後の章、カスミが14歳のときの話が面白かったり驚いたり、腑に落ちなかったりと思った。桐島とは関係のない物語だけれども、映画を見てからおもい返すとカスミの立ち位置がはっきりと理解できた気がする。最初、映画は映画、原作は原作として、物語を見るとカスミの言動がまったく理解できない。

 

 

 だけど、2、3回繰り返し読んで観て、原作と映画を繋ぎ合わせると、何となく理解できた。

 映画で弱肉強食、女子の世界でクッション役に徹しているカスミは、どこか気持ち悪かった。仲間からハブられないように立振る舞う神業を発揮し、場を壊さない言動、例えば、冒頭での部活に向かう4人でのシーンで梨紗の内申への全力でのフォロー、沙奈と実果の険悪になって実果と一緒に食堂に行くところ、「ほんと女子ってわけわかんない」に対して「本当に。私も女子だけど」と反応したところ。

 

 はたまた、映画部が体育館で表彰された時、ちゃんと拍手していたり、食堂で前田に対して映画できたら見に行くと言ったりと、映画だけ切り取ると単なる優柔不断ないい子ちゃんの印象。でも原作のカスミと合わせると中学のとき、他校の友人がいじめに合っていてそれを見た経緯を含めると映画のカスミの人物像が理解できる、いい子ではなく、風見鶏。これがカスミの印象だ。いい意味でも悪い意味でも周りの人に合わせることに慣れている。必ず1人はクラスにいる要領のよいタイプ。何事も俯瞰して物事を見て、本心での意思表示をするのではなく、その場の雰囲気を見てから意思表示をする。どこか嘘っぽい感じがたまらなく癖になる(笑)それぐらい、橋本愛の演技が過去の情景と重なった。こんな感じの子いたな~と。

 

 

 最後に、宏樹について、思ったことを綴ります。

 映画の最後、宏樹が部長に『何で、部活を引退しないのか?』と質問をしたシーン、部長は臆することなく、ドラフトが終わるまでは頑張るって答えた。それで、宏樹はハッとしたことだろう。映画では、次のシーンで前田との屋上のシーンになる。このシーンで宏樹は、感極まって言葉に詰まる。

 ここで感じたことは、宏樹は、弱い人だということだ。この作品で出てくる誰よりも弱い存在だと感じました。何でも人よりできてしまうイケメン、だけど『弱い』って感じです。

 

 

 原作で宏樹は、最後、自分が本気でやりたいことをやって失敗したときの自分と折り合いをつけて、グラウンドに向かう。前田はますます教室とは違う表情で本気で映画に向き合う。実果は家族のことで気持ちを整理して、部活に打ち込むことにする。風助は桐島の代わりを担い、沢島は宏樹に対する思いに折り合いをつける。桐島が部活を辞めたことが多かれ少なかれ影響している。桐島の影響力、恐るべし。

 

 

 高校という決して広くない世界で、自分の立場をしっかりと理解して振る舞うことを学ぶ。そして、宏樹のいうところの自分の身の丈にあった進路(努力をしないで無難な)を選択していく。かつての自分がそうしたように、正解なんて分からない中で、知識や経験のない頭で答えを必死に絞り出して大人になっていくのだろう。

 

 

 

*****

 最近、再びこの映画を観ました。そこで、改めて感じたことがあります。それは、原作では描かれていない、カスミと竜汰の関係を前田が見た時の感情です。

 

 映画では、前田は屋上でカメラを回すことでカスミと竜汰の関係を見た時の感情を清算していると感じた。

 

 カスミが最後、ゾンビに襲われるところは、その心理描写を表わしているような、それでいて、後腐れがないといったように感じた。

 

 

 結局、『桐島、部活やめるってよ』の中で一番いきいきとしていたのは、前田のように感じる。自分の好きなことに一生懸命になり、結果を意識するのは二の次で、とにかく自分の好きなことに打ち込み、その好きなことを通して、カスミと決別する。

 

 こんな高校生らしい高校生が前田だ。陰キャラなんだけど自分を持っている。ある意味カッコいいやつだと思う。ぶれない、最高にカッコいいと思う。

 

 最後に、桐島という人物が色々なことから逃げて、その結果『部活を辞める』という行為が桐島の幼稚さというか、弱さを感じる。

 

 桐島はいつも学校で主人公のような華やかな輪の中にいたことだろう。でも、それを全て捨てた。その選択がやけに桐島の弱さを感じる。先生から映画を撮ること(ゾンビものは撮るな)を否定されても、自分の好きなことに打ち込む前田と正反対だ。

 

 

 結局、最後まで、自分の好きなことに一生懸命になれている人が大人なのかもしれない。カッコいいとか頭がいいとか可愛いとか、なんとなくで結果を出すやつとか、そんな人たちよりも断然大人だ。

 

 

 

 だから、前田はクラスでは、陰キャラなのかもしれない。相手にされていないのではなく、相手にしていないのだ。生きている(目を向けている)世界が根本的に違うのだ。

 

 それでも、年相応にダサいやキモイに敏感であり、なるべく意識しないように振る舞う。それが、前田の大人になり切れない部分なのかもしれない。

 

 

 何度見ても、考えさせられる物語。この『考える』行為をいつまでも行う癖を身につけたい、そう感じました。

 

桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)

桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)