美しい言葉っていいものだ~大和言葉つかいかた図鑑~

 現代日本では、日本語に英語に中国語……、他にも多くの言語が飛び交っている。時間が経てば、言葉はその時代に適した形に変化していく。そして、時代を振り返って見るときに、その時代における文化を象徴する要素の一つとなっている。言語の大切さは言うまでもない。

 普段、我々が何気なく使っている言葉は何千年と日々の進化してきた上にある。だから、ひょっとすると今何気なく使っている言葉は数年後には使われていないことだって考えられる、「その言い回しは古い」と揶揄されることもあるかもしれない。でも、全てが古いと言われ、使われなくなることはない。何年、何十年、何百年、何千年と使われている言葉は現代にある。その言葉が「大和言葉」である。因みに、大抵漢字にしたときに訓読できるものが大和言葉と解釈して良いようだ。この本の目的は、「美しい日本語を後世に残すこと」にある。

 本書に目を通してみると普段使っている言葉の中に大和言葉がすこぶる多いことに驚く。イラストが多く、一時間ぐらいでざっと読めた。読み終えて最初に思った、「大和言葉はなんと雅なものか」と……。大和言葉にはどこか不思議な上品さがあるように思う。日本語ほど、微妙な違いを多くの言葉にしている言語はないと言われているが、この根幹には大和言葉が存在しているのだろうと思った。同時に、日本語の偉大さも感じた。少しずつだが、日常生活で大和言葉を意識して使っていきたい。

 

 

 最近は、授業に追いつくのがやっとで読書ができていなかったが、良い気分転換になった……。

 

 

 

 

 

 

 

蹴られたい背中~蹴りたい背中~

 なかなか背中を異性に蹴られことはないだろう。しかもそれが愛情たっぷりと詰まった蹴りをだ。

 

 

 にな川が長谷川さんに蹴られたみたいに僕もとは思わないけれど……、本当に思わないけれども、一度も経験しないのは何か損をした気分になる。愛情表現の下手さ加減が何とも絶妙である。長谷川さんみたいな人と付き合うのは大変そうだけど……。でも好き。

 

 

 周りの集団に馴染めない長谷川さんにモデルのファンにしてオタクのにな川、この二人が織りなす物語は冴えない者同士を慰めるでもなければ同族嫌悪を抱くでもない。と勝手に解釈している。単なる似たもの同士の共存のような気がする。

 「そうじゃなくて、なんていうの、私って、あんまりクラスメイトとしゃべらないけれど、それは”人見知りをしている”んじゃなくて、”人を選んでる”んだよね。」

「うんうん。」

「で、私、人間の趣味いい方だから、幼稚な人としゃべるのはつらい。」

「”人間の趣味がいい”って、最高に悪趣味じゃない?」

鼻声で屈託なく言われて、むっとなる。

「でもおれ分かるな、そういうの。というか、そういうことを言ってしまう気持ちが分かる。ような気がする。」

  以上の、長谷川さんがにな川のお見舞いでにな川家へ出向いた一場面からそう感じた。

 

 長谷川さんはめちゃくちゃ面倒な性格だけれども、「蹴りたい背中」で一番好きな人物。にな川はオタクっぽい幼稚な印象が自分を見ているようで好きになれなくて、長谷川さんの友達で小倉絹代は「みんな」とか「集団」を意識した生き方がイヤ。

 結局、ぼっちがイタイ方向に向いているような人が好きなのかもしれない。愛情表現が下手な人を可愛いと思えてしまう(小説の中only)。

 

 著者綿矢りさ先生が18、19の時にこれを書いたことには驚きです。すごいの一言しか言いようがないですね。最近は時間もあり、読書を思う存分しているのですがどうも青春小説に偏っている気が……。

 

何か他ジャンルで良いものはないだろうか……。

すごい!の一言~井深大 私の履歴書シリーズ~

 ソニーを一代で世界企業へと作りあげた井深大さんの半生記。軍の仕事をこなしていた20代、終戦を向かえ時代が大きく変わるときにソニー前進会社東京通信研究所を設立。何がすごいと当時の情勢で国民が必要とするものを作り出そうと考えたのがすごい。みんな自分が生きることで精一杯のはずなのに……。

 そして、生涯、研究・開発にとことん貪欲な姿勢を崩さなかったこともすごい。「むずかしいからこそやる価値がある」という言葉をなかなか一般人が言える言葉ではない。

 現代では「むずかい」という言葉が出てきたら、後回しにするか、きっぱり諦めることの方が多い。最初からとことん向き合う姿勢はない。

 しかし、それを「やる価値がある」と言わしめるのはすごいとしか言いようがない。必ず結果が出るまで諦めない。その姿勢は誰も教えてくれない。自分自身でその癖をつけるしかない。そう思わされた。

 

こんなお独り様はちょっと羨ましい~ぼっちーズ~

 昨今の日本では、お独りさまに優しい社会になりつつある。某大学の食堂には独り席が設けられていたり、ひとりカラオケに始まりひとり焼肉……、ひとり〇〇と肯定的に言われるようになっていたりと独りで楽しめる社会が形成されつつある。

 

 このような社会で青春を過ごす平成生まれの我々は恵まれているのかもしれない。独りになることに抵抗がないのである。これは老後の生活を想像するとその時にものすごい効力がありそうだ……。

 

 しかし、最初から独りでいることは望まない。皆、友達や恋人を求めるのが至極当然のことだ。とりわけ青春時代はこの存在をより求める。先生でも親でもなく、「友達」と「恋人」である。

 

 なぜこんなにも執着するのかは定かではないけれども強いて言うのであれば、本能が求めているのかもしれない。

 

 入間人間先生の「ぼっちーズ」の登場人物たちは皆「ぼっちからの脱却」を目指す。「ぼっちは嫌だ」とのたうち廻る。一癖も二癖もある大学生どものキャンパスライフは傍から見ると負け組だと言われるかもしれないが、読むとそんなことはないと思わされる。ぼっちはぼっちなりに人生の楽しみ方を知っている。それはぼっちにならなければ知ることは出来ない。

 「友達という言葉がどうして生まれたか」ということに対して中村さんがおしゃっています

「きっと、あなたみたいな人が必死にもがいて、他の人との距離を埋めようと試行錯誤した結果の一つなんだと思います」

 

 大学の食堂でいつもぼっち飯の人、会社ではコンパや同期の集まりに自分だけ呼ばれない人……、ぼっち同士が集まればそれはぼっちではなく「ぼっちーズ」という団体になる。(ぼっちが一堂に会したらそれはそれでカオスなことになる気がするが)

 

 是非、ぼっち達が主人公の物語をご堪能あれ。

 

 

古都に闊歩する獣たち~有頂天家族~

 苦学生のくせして、毎年1回は京都に行く。間違えないでほしいのは、「京都に行く」って表現は京都市内ってことです。ちなみに、僕の友人には「京都に行く」=「舞鶴に行く」って人がいます(笑)

 行く度、最初に清水寺→六角堂→隣のスタバで休憩→午後はその日の気分で行く場所を決める。

 と、こんな感じで京都を満喫する。

 

「有頂天家族」は京都が舞台の狸の話。町には化けた狸が潜んでいて、他のケモノ(天狗)たちも人間と共存している。「面白きことは良きことなり」がモットーの矢三郎が中心のお話。

 強烈な個性を持ったキャラクターたちが印象的である、四字熟語を使いたがる双子の狸、頑固な老天狗、人間でもあり天狗でもある弁天……。とにかく、読んで頂いた方がいい。

 癖のある文体は著者、森見登美彦先生の特徴であり、読むものを惹きつける。著者の他作品で「夜は短し歩けよ乙女」もとても面白い。何が面白いってストーカー気質の大学生が一目惚れした女子を追いかけるも、なかなか気づいてもらえないところである。単なる変人の話でおさまっていないのがいい。ぜひ、こちらも併せて読んでもらいたい。

 

それでは、諸君が拝読することを願う!

格言・名言2

スターウォーズ・エピソードⅤ」を観て、出会った言葉です。

「やる」か「やらない」かだ。「やってみる」という選択肢はない。

 

これは、ヨーダが主人公に向けた言葉です。

逃げ道を作らない、後から言い訳のしようがない生き方がカッコイイですね。

猫愛は誰にも負けない?~猫と庄造と二人のをんな~

誰よりも猫を愛してやまない庄造とその妻、前妻の心情を面白く綴った小説、谷崎潤一郎の短編を最近読みました。感想を少し語ります。

 

 

猫にまつわる慣用句には、猫をかぶる、窮鼠猫をかむ、猫の手も借りたいetc…

その中でも、「猫可愛がり」という言葉は、庄造のためにあるような気がしてしまうほど。

 

 

それほどの大きな愛情を猫に持っている庄造は、結婚して間もない妻そっちぬけで猫と戯れるあまり、遂に妻から「私と猫どっちが大事なの?」と二者択一を迫られる。個人的には「私と○○のどっちが大事なのよ」と一度は言ってもらいたいものですが、庄造はめんどくさがりながらもどちらも大事だと告げる。その回答じゃあ引き下がらない妻は庄造を猫のごとくひっかき回す(笑)

さすがの庄造も観念して、猫を手放すことにする。そして猫は前妻へ、でも庄造の愛情は日に日に増す。結局猫に会いに行く……

 

 

大事なことなのでもう一度、「私と○○のどっちが大事なのよ」と言われてみたいものです。

また、この現代、猫に嫉妬して夫をひっかく嫉妬深い女性っていますかね?(笑)

 

 

それはさておき、庄造の往生気の悪さには、流石に苦笑い。最後の方は、猫に会うために色々と理由をこじ付けての逢引きには、愛が重すぎると思ってしまいました。動物を飼ったこのない自分としては、理解できない事が多々ありますが、いくら十数年の艱難辛苦を共にしてもここまで猫に依存するのはちょっとと思います。

 

しかし、庄造の印象は悪いものばかりでもないです、二者択一を迫られたことを同居している母親に告げ口し、母親に肩を持ってもらえないで拗ねるのは、子供のようで微笑ましいものです。

 

 

未読の方は、ぜひ読んでみて下さい。