三流大学、理系学生が読んだ書物を語る

三流大学、理系学生が読んだ書物を語る

小説、映画、マンガ…etcについて徒然なるままに感想を書いてます。

美しい言葉っていいものだ~大和言葉つかいかた図鑑~

 現代日本では、日本語に英語に中国語……、他にも多くの言語が飛び交っています。時間が経てば、言葉はその時代に適した形に変化していく。そして、時代を振り返って見るときに、その時代における文化を象徴する要素の一つとなっている。言語の大切さは言うまでもないですね。

 

 

 普段、我々が何気なく使っている言葉は何千年と日々の進化してきた上にあります。だから、ひょっとすると今何気なく使っている言葉は数年後には使われていないことだって考えられる、「その言い回しは古い」と揶揄されることもあるかもしれないです。

 

 

 でも、全てが古いと言われ、使われなくなることはないと思います。何年、何十年、何百年、何千年と使われている言葉は現代にあります。その言葉が「大和言葉」です。因みに、大抵漢字にしたときに訓読できるものが大和言葉と解釈して良いようです。

  

 

 この本の目的は、「美しい日本語を後世に残すこと」にあります。

 

 

 本書に目を通してみると普段使っている言葉の中に大和言葉がすこぶる多いことに驚きます。

 イラストが多く、一時間ぐらいでざっと読めました。読み終えて最初に思った、「大和言葉はなんと雅なものか」と……。大和言葉にはどこか不思議な上品さがあるように思います。日本語ほど、微妙な違いを多くの言葉にしている言語はないと言われていますが、この根幹には大和言葉が存在しているのだろうと思いました。同時に、日本語の偉大さも感じました。少しずつだが、日常生活で大和言葉を意識して使っていきたいと思います。

 

 

 最近は、授業に追いつくのがやっとで読書ができていなかったが、良い気分転換になりました……

 

 

 

 

 

 追記(2018/5/某日)

 

 最近、読み返して思った事があります。

 今、私たちが日常で使用している言葉があまりにも『品』がないということです。

 

 

 流行りの言葉が大体、省略して短く言うことに対して、大和言葉は、省略しようのない、ある意味では完成された言葉と感じました。この完成されたというのは、私の感覚でしかないですが……

 

 

 難しいことは言うつもりはないですが、流行りの言葉は情報量がいい加減な気がします。

 発信者と受信者で受け取る情報量に差異が生じる言葉が多い気がします。

 だから、同じテリトリーでは通じるが、歳が離れた大人には通じなくなるのかなと感じました。

 

 

 私自身、言葉遣いを改めて、品のある言葉を使用したいと思います。そんなことを思わせてくれる本になりました。

 

蹴られたい背中~蹴りたい背中~

 綿矢りさ先生の『蹴りたい背中』についての感想です。

 

 

 なかなか背中を異性に蹴られことはないだろう。しかもそれが愛情たっぷりと詰まった蹴りをだ。

 

 

 にな川が長谷川さんに蹴られたみたいに私もとは思わないけれど……、本当に思わないけれども、一度も経験しないのは何か損をした気分になる。愛情表現の下手さ加減が何とも絶妙である。長谷川さんみたいな人と付き合うのは大変そうだけど……。でも好き。

 

 

 周りの集団に馴染めない長谷川さんにモデルのファンにしてオタクのにな川、この二人が織りなす物語は冴えない者同士を慰めるでもなければ同族嫌悪を抱くでもない。と勝手に解釈している。単なる似たもの同士の共存のような気がする。

 「そうじゃなくて、なんていうの、私って、あんまりクラスメイトとしゃべらないけれど、それは”人見知りをしている”んじゃなくて、”人を選んでる”んだよね。」

「うんうん。」

「で、私、人間の趣味いい方だから、幼稚な人としゃべるのはつらい。」

「”人間の趣味がいい”って、最高に悪趣味じゃない?」

鼻声で屈託なく言われて、むっとなる。

「でもおれ分かるな、そういうの。というか、そういうことを言ってしまう気持ちが分かる。ような気がする。」

  以上の、長谷川さんがにな川のお見舞いでにな川家へ出向いた一場面からそう感じた。

 

 

 長谷川さんはめちゃくちゃ面倒な性格だけれども、「蹴りたい背中」で一番好きな人物。にな川はオタクっぽい幼稚な印象が自分を見ているようで好きになれなくて、長谷川さんの友達で小倉絹代は「みんな」とか「集団」を意識した生き方がイヤ。

 結局、ぼっちがイタイ方向に向いているような人が好きなのかもしれない。愛情表現が下手な人を可愛いと思えてしまう(小説の中only)。

 

 

 著者、綿矢りさ先生が18、19の時にこれを書いたことには驚きです。すごいの一言しか言いようがないですね。最近は時間もあり、読書を思う存分しているのですがどうも青春小説に偏っている気が……。

 

 

 何か他ジャンルで良いものはないだろうか……。

 

 

 

蹴りたい背中 (河出文庫)

蹴りたい背中 (河出文庫)

 

 

 

 追記(2018/5/某日)

 

 

 『インストール』も読みましたが、やはり十代で書いた物語だと思うとすごいの一言しか出てこないです。(笑)

 綿矢りさ先生、豊島みほ先生、朝井リョウ先生…

 好きな作家に偏りがありますね(笑)

 

 

 特に、朝井リョウ先生なんてブログにめっちゃ感想書いてますし(笑)

 

 

 

 それは置いといて、綿矢りさ先生のある種の自虐的に感じる物語が面白いです。

 いや、自虐ではないのかもしれませんが、どう形容してよいのか分からないです。

 

 

 時々垣間見る、これ長谷川さんの発言ではなくて、先生の思いなんじゃない?と思えてくる所が幾つかあったので…

 

 

 ともあれ、『インストール』、『蹴りたい背中』ともども面白いので、是非一度は読んでみてください。

すごい!の一言~井深大 私の履歴書シリーズ~

 ソニーを一代で世界企業へと作りあげた井深大さんの半生記。軍の仕事をこなしていた20代、終戦を向かえ時代が大きく変わるときにソニーの前進会社東京通信研究所を設立。

 

 

 何がすごいと当時の情勢で国民が必要とするものを作り出そうと考えたのがすごい。みんな自分が生きることで精一杯のはずなのに……。

 

 

 そして、生涯、研究・開発にとことん貪欲な姿勢を崩さなかったこともすごい。「むずかしいからこそやる価値がある」という言葉をなかなか一般人が言える言葉ではない。

 

 

 現代では「むずかい」という言葉が出てきたら、後回しにするか、きっぱり諦めることの方が多い。最初からとことん向き合う姿勢はない。

 

 

 しかし、それを「やる価値がある」と言わしめるのはすごいとしか言いようがない。必ず結果が出るまで諦めない。その姿勢は誰も教えてくれない。自分自身でその癖をつけるしかない。そう思わされました。

 

  

 

 

 追記(2018/5/某日)

 

 

 日経ビジネス人文庫の『私の履歴書シリーズ』は、著名な方々の伝記ばかりです。

 本田宗一郎さんや松下幸之助さんなどの昭和・平成を代表する経営者の伝記は、ほんとにためになる格言ばかりで、何度も読み返して、咀嚼してます。

 

 

 利益と質を上手く求めた、姿勢は心打たれるものがあります。

 そして、誰にも負けないこれだというものを持つ重要性を説かれています。

 意外と、普通の事を言っている気がしますが、この誰にも負けない『専門性』は一朝一夕には身につかないものです。

 

 

 常に目的意識を持って、専門性を高めつつ、様々な角度から物事を把握する。

 言うのは簡単な事ですが、しっかりと身に付けたいと思います。

 そして、何よりも『楽しむ』ことを忘れずにいたいと思います。(笑)

 

 

 私の履歴書シリーズを読んでいて思った事は、お三方とも、仕事を楽しんでいたのかなぁと思えるほど、全力で取り組んでいたことです。

 ついついルーチン化すると楽しむことを忘れて、流れ作業になってしまうものですが、この『楽しむ』ことを心掛けたいと思いました。

 

 仕事だけではなく、日々のちょっとしたこと(今日の日替わり定食、何かな?とか)も含めて、楽しみたいと思います。(笑)

こんなお独り様はちょっと羨ましい~ぼっちーズ~

 昨今の日本では、お独りさまに優しい社会になりつつあります。某大学の食堂には独り席が設けられていたり、ひとりカラオケに始まりひとり焼肉……、ひとり〇〇と肯定的に言われるようになっていたりと独りで楽しめる社会が形成されつつあります。

 

 このような社会で青春を過ごす平成生まれの私たちはある意味では、恵まれているのかもしれないです。独りになることに抵抗がない。これは老後の生活を想像するとその時にものすごい効力がありそうですが……。

 

 しかし、最初から独りでいることは望まないもの。皆、友達や恋人を求めるのが至極当然のことだ。とりわけ青春時代はこの存在をより求める。先生でも親でもなく、「友達」と「恋人」である。

 

 なぜこんなにも執着するのかは定かではないけれども強いて言うのであれば、本能が求めているのかもしれない。

 

 入間人間先生の「ぼっちーズ」の登場人物たちは皆「ぼっちからの脱却」を目指す。「ぼっちは嫌だ」とのたうち廻る。一癖も二癖もある大学生どものキャンパスライフは傍から見ると負け組だと言われるかもしれないが、読むとそんなことはないと思わされる。ぼっちはぼっちなりに人生の楽しみ方を知っている。それはぼっちにならなければ知ることは出来ない。

 「友達という言葉がどうして生まれたか」ということに対して中村さんがおしゃっています

「きっと、あなたみたいな人が必死にもがいて、他の人との距離を埋めようと試行錯誤した結果の一つなんだと思います」

 

 大学の食堂でいつもぼっち飯の人、会社ではコンパや同期の集まりに自分だけ呼ばれない人……、ぼっち同士が集まればそれはぼっちではなく「ぼっちーズ」という団体になる。(ぼっちが一堂に会したらそれはそれでカオスなことになる気がするが)

 

 是非、ぼっち達が主人公の物語をご堪能あれ。

 

 

 追記(2018/5/某日)

 

 当たり前のようになった、お一人様用のサービス。

 私も一人カラオケを経験し、一人で何かすることに特別、抵抗がなくなりつつあります。

 ただ、友達が一人もいないのはツラいもの。

 話したいこと、ぶつけたい思いが、行き場のないことは、ツラい。考えたくもないことです。

 

 おそらく、本当にボッチだったら、就活や受験は乗り越えられなかったことが容易に想像できます。それぐらい、その時に一緒にいた友人たちの存在が大きかったことを実感しています。

 

 結局、ボッチから脱却し、友達を作る(1人でもいいから)ことって大事だと思います。と言いたいです。

 改めて読むと、ボッチなりの楽しみ方も良いが、他者との関わった楽しみ方だって否定出来ないですよね、って思いました。

 

古都に闊歩する獣たち~有頂天家族~

 森見登美彦先生の著書『有頂天家族』についての感想を少々綴ります。

 

 

有頂天家族」は京都が舞台の狸の話。町には化けた狸が潜んでいて、他のケモノ(天狗)たちも人間と共存している。「面白きことは良きことなり」がモットーの矢三郎が中心のお話。

 強烈な個性を持ったキャラクターたちが印象的である、四字熟語を使いたがる双子の狸、頑固な老天狗、人間でもあり天狗でもある弁天……。とにかく、読んで頂いた方がいい。

 

 

 苦学生のくせして、毎年1回は京都に行く。間違えないでほしいのは、「京都に行く」って表現は京都市内ってことです。ちなみに、僕の友人には「京都に行く」=「舞鶴に行く」って人がいます(笑)

 

 

 どんだけ、軍艦オタクなことか……

 

 

 それはそうと、行く度、最初に清水寺→六角堂→隣のスタバで休憩→午後はその日の気分で行く場所を決める。

 と、こんな感じで京都を満喫する。

 

 

 この満喫している時、狸や天狗が闊歩していると思うと少し周りが気になってしまうもの。(笑)

 それぐらい、京都に溶け込んでいてもおかしくないぐらい『有頂天家族』にはそう思わされます。

 

 

 

 癖のある文体は著者、森見登美彦先生の特徴であり、読むものを惹きつける。著者の他作品で「夜は短し歩けよ乙女」もとても面白い。何が面白いってストーカー気質の大学生が一目惚れした女子を追いかけるも、なかなか気づいてもらえないところである。単なる変人の話でおさまっていないのがいい。ぜひ、こちらも併せて読んでもらいたい。

 

 

 

 それでは、諸君が拝読することを願う!

有頂天家族 (幻冬舎文庫)

有頂天家族 (幻冬舎文庫)

 

 

 

 追記(2018/5/某日)

 

 

 最近、有頂天家族のアニメを見て、これまた、アニメも面白いです。

 おバカなことを繰り広げる、矢三郎がめちゃくちゃ可笑しい。

 映像化されて、本の倍は笑かせてくれます。しかも、有頂天家族2なるものもあり、シリーズを一気に見てしまいました。

 

mottobungaku.hatenadiary.jp

 

 ほんと、この作品は家族の温かさを感じます。

 癒されたい時にこそ、見て下さい。

 そして、笑って下さい。(笑)

 

 きっと可笑しくて、笑い転げることでしょう。

 存分に楽しんで下さい。

 

 面白きことは良きことなり!!