読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

突然の目覚め~美しい星~

 突然、家族の誰かが『私は宇宙人だ』と言い出したら驚くことだろう。しかもそれが家族全員が違う星の生まれだという。最初はそんな馬鹿げたことと真に受けないはずだ。

 だけど、次の日には、兄弟が『私は宇宙人だった』といい、はたまた次の日には自分が『私は宇宙人だ』と自覚する。そして、最終的には、『我々は違う星の生まれの家族だが、地球を救う使命がある』と思い込み、生活の基準が地球救済だけになっていく。

 最初、三島由紀夫がこんなSFちっくなものを書いているとは、思いもよらなかった。SFなんだけども思想小説的なところもある。宇宙人の自我に目覚めた家族の生き方と悟ることで地球の日常を客観視している毎日。

 選民思想の愚かさと現代社会に対する批判が書かれている。この小説の面白いところは、最終的には個人的な問題が大きく自分の生活を支配していくことだ。父親の重一郎は病気のこと、娘の暁子は妊娠、一雄は親しくしていた人からの裏切り、母親の伊余子は重一郎の病気を家族の最後に知ったことの劣等感に近い敗北感。

 地球の救済どころか、個人レベルの問題に振り回されている大杉一家の面々。

 精神は、宇宙人どころか普通の人と変わらないところが面白い。

 

 結局のところ、人は些末なことに心が揺さぶられて、後から振り返ると人生に大きく影響していたりする。精神的に大人びている大杉一家はきっとその崇高な精神(自分は宇宙人という自覚)を持ってるから……

 きっと人生を楽しめていないことだろう。

 

 映画観に行きたいな~(笑)

美しい星 (新潮文庫)

美しい星 (新潮文庫)

 

 

これぞSFラブコメ~世界、それはすべて君のせい~

 ある日、大学の映画サークルで活動する貴希は、語学のクラスで一緒のお嬢様・村瀬真葉と言い合いになる。真葉の高飛車な態度が原因だった。教授の仲裁もあり、その場で収まる。

 それから数日後に真葉は、何事もなかったかのように貴希のもとに「サークルに参加させてほしい」と来る。どの面下げて来たんだよと、貴希は思う。しかし友人たちは、噂とかけ離れた真葉の優しい態度と才能溢れる自作の脚本もあって、歓迎的。

 結局、貴希が折れて、真葉を迎えいれて、真葉の脚本で映画を制作し始める。貴希は、撮影を追うごとに真葉の優しい態度に惚れていく。そして、告白する。しかし、物語はそんなうまくは出来ていなくて振られる。真葉が振ったのには理由があった。

 「私、実は平行世界から来ているんだ」みたいな感じで(笑)

 普通の人だったら、何をこの人はおっしゃっているのだろうか?とクエスチョンマークが数個は頭に浮かぶことだろう。衝撃の事実を告げられるも頭が理解する前に真葉は「もう滞在時間がないんです!」と自分の世界へと帰る。

 それから貴希は何度も頭の中で咀嚼して事実を受け入れたことだろう。大学を中退して理学系学部に入り直す。並行世界について研究し、もう一度真葉に会うんだ!!と物語は終幕。

 真葉の物語=映画の脚本

 なんともシンプルだけれども、それが良い。何よりも結末が良い、真葉は自分の世界に帰り、貴希と真葉は結ばれなかったところだ。

 

 何よりも、真葉の別れの手紙

 ねえ、一緒に見たストロベリームーンを覚えている?わたしもあなたも、きっと幸せになるんだよ。夏目漱石の言葉。”僕は死ぬまで進歩するつもりでいる。”これをわたしは実践して生きていくつもり。

 

 この言葉できっと、貴希は法学部を辞めて、理学系学部に入ることを決断したことだろう。

 

世界、それはすべて君のせい (集英社オレンジ文庫)

世界、それはすべて君のせい (集英社オレンジ文庫)

 

 

さぁ本気を出すときだ~俺はまだ本気出してないだけ~

 40歳にして漫画家を目指すべく突然会社を辞めてしまうシズオの潔さが何とも痛快だ。可愛い橋本愛娘がいるのに会社を辞めてしまう。それでも夢をあきらめない生き方がカッコイイと思う。ふと立ち寄った大人の店で娘と鉢合わせるところは不覚にも笑ってしまった。

 努力もするが、小学校時代からの幼なじみと飲みもする。ぐーたら生活を過ごしているようでしっかりしているシズオ。だから、憎めない。たとえ可愛い娘からお金を借りようとも、朝からゲームをやっていようともだ。

 漫画家を目指すというと『バクマン。』を思い出す。寝ないで描いて、描いての日々。なのにシズオからはそんな感じがしない。でも内心はめちゃくちゃ脳内会議をしていて焦りもある。だからといって、焦りだけでもなくて周りの人たちよりも自由にどこか余裕のある感じがある。単なるアホだともいえるが、そこが良い。

 決して真似をしたいわけではないが、ちょっとかっこいいと思えてしまう。シズオの無邪気さを羨ましく、見習いたと心から思う。

 

俺はまだ本気出してないだけ コミック 全5巻完結セット (IKKI COMIX)

俺はまだ本気出してないだけ コミック 全5巻完結セット (IKKI COMIX)

 

 

何を考えているんだ?~渇き。~

 ドラックに暴力、どうしたらこんな世界に首を突っ込めるのだろうか。しかも、高校生でだ。加奈子という人物像が優等生以外に掴めない。それぐらい目まぐるしく物語が進行する。

 父と娘の関係がドロドロしていて、気持ち悪かった。最後の最後まで『暴力』が付きまとう物語。後味の悪さが何とも言えない……

 

 しかし、そんな悪い感じばかりではなく、橋本愛可愛さ表情がとても良い感じだったりと面白く見れたりもした。昭和が長野の薬づけだということを気づいたときの、森下のかばうところが一番印象的だった。

 

渇き。

渇き。

 

 

古都と言えば京美人~古都~

 京都は特別な雰囲気をまとったところ。いつ行っても市内は落ち着いていて、ほど良い都会度だ。きっと、昔も変わらない雰囲気で今の京都を築いてきたのだろう。華やかさと風情を兼ね備えた京都を、祇園祭の際にはひときわ感じることができるだろうことは、描写から読み取れる。

 祇園ばやしは、かんたんに「こんこんちきちん」で通っているが、じつは、二十六通りあって、それは壬生狂言のはやしに似、雅楽のはやしに似ていると言われる。

 宵山には、それらの鉾が、つらねた提灯の灯でかざられ、はやしも高まる。

 四条大橋の東に、鉾はないのだが、それども、八坂神社まで、花やぎがつづいているように思われる。

 

 祇園祭を見たことがない私としては、一度は見物してみたいものだ。

 

 

 京都で捨て子として育てられた千重子は、祭りでふた子の苗子と出会う。自分が姉妹であることに驚き、たじろぐ、おまけに大切な人には気づかれない悲しさ。

 伊豆の踊子しかり、身分違いの2人が出逢って、物語が進行する川端康成作品は、スーと心に入ってくる。完全に交わることはない2人だけれども、どこかで糸が絡まっている。心情が揺れている描写は美しい。

暴力の先にあるもの~セッション~

 某プライムビデオで視聴した映画『セッション』、純粋な主人公は、求められたものに対して、ひたすら応えるための努力をする。血が出ようが車の事故で腕が折れていようが、お構いなくドラムスティックを握りしめて、叩く。ジャズの世界で名声を得るために。ただそれだけのために…

 

 

 目の前の要求に対して、死に物狂いで完璧な正解を演出する姿勢は、狂気だ。段々とプロを目指すというよりも、フレッチャー先生の要求に応えることだけに必死になっていく姿は、すごい!というよりもどこか気持ちが悪い。家族、兄弟に負い目を感じていたのか、なお一層と叩くことに執着していく。彼女と別れて、新入りには並々ならぬライバル意識をぶつけて、周囲のことは何一つ目に入っていない。自分の世界に入り込んで、ひたすらドラムを叩く。しかし、大一番というコンクールで失敗をする。車で事故を起こして、血だらけのまま会場に向かい、演奏する。この姿勢は、ただただ気持ち悪い、命よりも結果(成功・名誉)を求める姿勢。

 

 

 大学を辞めて、先生を訴えるという人物の証言をして、フレッチャー先生も大学を辞める。アンドリューは大学を入り直し、音楽から離れていたが、通りかけたバーでフレッチャー先生が演奏していた。思いがけない邂逅に、その場を後にしようとするが、フレッチャー先生に捕まって、一緒にお酒を飲む。特に印象的だったのは、ここでの会話で、あるプロの挫折からどう成功者になったのかという話、そのプロは一度、演奏で笑い者になってから次の朝から死ぬ気でドラムを叩くようになったと。

 

 

 そして、ドラマーを探していて一緒にコンクールに出ようと誘われる。アンドリューは当日、舞台に立つと言われていた課題曲とは違う曲を演奏することになっていて、笑い者になる。一度は、舞台から出ていくが、父と抱擁して直ぐに舞台に戻り、アドリブで演奏を始める。最後、フレッチャー先生は笑う。私は、この笑みはアンドリューが上手く手のひらで踊ってくれたことに対する笑みだと解釈する。一貫して、アンドリューは幼稚な人物に描かれている気がする。

 

 素直に楽しかったと言える映画ではなかった。月並みだが、物事に取り組む姿勢をしっかりと客観視して、目標に向かって努力することが大事なのだなと思った。

当事者が出てこない~桐島、部活やめるってよ~

 映画『何者』に魅せられて、原作を読み、それぞれの人間模様に共感したり、しなかったりした。

 そして、次に『桐島、部活やめるってよ』を読んだ。結論、即映画も観ようってなり、Amazonにてレンタルで視聴……

 

 

原作・映画の両方ともめちゃくちゃ面白かった!!

 

 

 何が良いかというと、やはり桐島が登場しないで物語が進行するところ。また、桐島が部活をやめることで、一見無関係なスクールカースト最下層の前田にも余波があるところだったり……、これがフワッとした感想。

 

 

 一番印象に残っているのは、橋本愛の可愛さ原作・映画でのカスミの立ち位置がはっきりとしないところだった。

 

 

 最初、原作を読んだとき最後の章、カスミが14歳のときの話が面白かったり驚いたり、腑に落ちなかったりと思った。桐島とは関係のない物語だけれども、映画を見てからおもい返すとカスミの立ち位置がはっきりと理解できた気がする。最初、映画は映画、原作は原作として、物語を見るとカスミの言動がまったく理解できない。

 

 

 だけど、2、3回繰り返し読んで観て、原作と映画を繋ぎ合わせると、何となく理解できた。映画で弱肉強食、女子の世界でクッション役に徹しているカスミは、どこか気持ち悪かった。仲間からハブられないように立振る舞う神業を発揮し、場を壊さない言動、例えば、冒頭での部活に向かう4人でのシーンで梨紗の内申への全力でのフォロー、沙奈と実果の険悪になって実果と一緒に食堂に行くところ、「ほんと女子ってわけわかんない」に対して「本当に。私も女子だけど」と反応したところ。はたまた、映画部が体育館で表彰された時、ちゃんと拍手していたり、食堂で前田に対して映画できたら見に行くと言ったりと、映画だけ切り取ると単なる優柔不断ないい子ちゃんの印象。でも原作のカスミと合わせると中学のとき、他校の友人がいじめに合っていてそれを見た経緯を含めると映画のカスミの人物像が理解できる、いい子ではなく、風見鶏。これがカスミの印象だ。いい意味でも悪い意味でも周りの人に合わせることに慣れている。必ず1人はクラスにいる要領のよいタイプ。何事も俯瞰して物事を見て、本心での意思表示をするのではなく、その場の雰囲気を見てから意思表示をする。どこか嘘っぽい感じがたまらなく癖になる(笑)それぐらい、橋本愛の演技が過去の情景と重なった。こんな感じの子いたな~と。

 

 

 原作で宏樹は、最後、自分が本気でやりたいことをやって失敗したときの自分と折り合いをつけて、グラウンドに向かう。前田はますます教室とは違う表情で本気で映画に向き合う。実果は家族のことで気持ちを整理して、部活に打ち込むことにする。風助は桐島の代わりを担い、沢島は宏樹に対する思いに折り合いをつける。桐島が部活を辞めたことが多かれ少なかれ影響している。桐島の影響力、恐るべし。

 

 

 高校という決して広くない世界で、自分の立場をしっかりと理解して振る舞うことを学ぶ。そして、宏樹のいうところの自分の身の丈にあった進路(努力をしないで無難な)を選択していく。かつての自分がそうしたように、正解なんて分からない中で、知識や経験のない頭で答えを必死に絞り出して大人になっていくのだろう。

 

桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)

桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)